大里綜合管理株式会社
代表取締役社長
野老真理子
Tokoro Mariko
 

のびのび会長の航海日誌2020年3・4月

3月25日

第46期経営計画発表会 世代交代した31歳の新社長、40歳の新副社長が声を詰まらせながら後を継ぐ若い人たちに向かって思いを語り、それぞれの責任者もこれからの決意を伝えあった。5年という時間をかけて世代交代の準備をしてきた今日を万感の思いで見届ける事ができた。一緒に定年退職する6名には全スタッフから集めたメッセージを読み上げて労をたたえ、それぞれの渾身のスピーチは会場中が涙で溢れ幸せに包まれ、無数の人々への感謝の気持ちでいっぱいになった。いよいよ新しい時代が始まる。お客様や地域の皆さん、後を継ぐスタッフみんな大丈夫ですよ!と大声で伝えたい。

3月31日

昨日と今日と明日は1日ずつしか変わらないのに、それでも今日は大きな節目、万感の思いを伝えてみたい。

大学を卒業して頑張ってくれていてた母を手伝おうと大里に入った。なにから手伝えばいいのかわからなかったからやってほしいと言われた事を片っ端からやっていった。母は私たちを育てるためにこの会社を作った。

母の頑張りで大学を卒業できた私だからこの会社こそが私の天命だったと言える仕事をしないといけないと5年夢中で働いてみようと頑張った。この地域に2000枚の大里の看板が張られればきっと大里が周知されると500名だった管理のお客様を2000名にしようと目標を掲げ、雇用規定も退職金制度もない大里の会社としての形を作ることと合わせて取り組んだ。1年に一度草刈りをする名簿を管理と言っていたものを、年2回秋と春の草刈り、年4回のパトロール、現地までの案内や毎月大里だよりを送る事を管理のメニューにして毎月100名ずつ増やしますと、2000名になったら雇用契約と給料規定を作ってほしいと社長である母に約束してもらい、みんなを扇動しながら頑張り続けた。3000名になったらボーナスの規定ができ、4000名になったら週休2日の体制が保証され、5000名になったらと積み上げながらその一つにみんなでハワイに行ったのを覚えている。創立20周年に世代交代で社長になった。就任当時ポケットベルを持って青いスーツを着て、何か誇らしかったのを覚えている。就任パーティーでは家族・親族・関係者に集まってもらい、地域の方には東金文化会館で2回に分けて山田洋二監督の「学校」の映画を1000人の人に見てもらった。社長になってやりたい事は2つあった、年俸交渉と社員教育。

社員として働いてる時もっともっと勉強したかった事、頑張りに見合う給料が欲しかった事、私の代になったらそれができる社長でありたいとやり続けた。建築も工事も売買もそして管理もそこにいるスタッフ達の力を拠り所に頑張り続けた。どれほどの人が私の代でやめていったのか?両手はもちろん足の指を足しても足りないはずで、多くの人が過ぎ去る中でその都度悲しみでも同時に手に入れた者はきっと曲げない心だったのかもしれない。就任3年後に死亡事故が起こり、それまでの在り方が一変した。最大の責任は私にある!そう決めてやり始めた環境整備は今も続いてるいる。危機管理の日も形ばかりにならないようにと願いその都度工夫し努力した。決めることとそれをやってもらい続けることは、1と1000の違いがあることを嫌ほど味わっている。決めてやり続ける大里だよりもカムカムも合唱も第九も道の掃除もコンサートもレストランも発表会も経営計画発表会も、障害者就労支援も時にはそれは会社のやることでは無いと批判されたり、そんな時間があったら本業をもっとしっかりやれ!と言われたり、でもどれ一つもやめなかった。26年経って私は何を残したのだろうか。それは生き様しかないと思う。やり続け頑張り続けた大里を通した自分の生き様、今一つの区切りを前に自分を振り返る。たくさんの失敗や後悔もある、迷っているのに迷ってない顔をして、悩んでるのに悩んでない顔をして、ニコニコしながらしんとたつ事が自分の役割だと自分に言い聞かせてきた。今日はその一区切り、母が生きていたらなんと言ってくれるだろうか、おばあちゃんが生きていたら、椎名市長が現役だったら、なんと言ってくれるだろうか?鍵山秀三郎さんだったら松下幸之助だったら、坂村真民さんだったらやなせたかしだったら、今の私をどう受け止めてくれるだろうか、社員として10年、社長業26年の終了の時、万感の思いが私を包む。ゆっくり振り返り考える 私は一体何を残せたのだろう 小さな小さな居場所と出番誰もがはぶられず誰もが来ることができる「出番と居場所が与えられる小さな空間」それを支えられる小さな経営基盤。小さな時から人はなんのために生きているのか私はなんのために生きればいいのか、小さな時から家族の食事の支度し、小さな時からそんなことばかり考えてきた。困っている人を見るといたたまれなくなり、どうしたらそれらが無くなる社会を作れるのかばかりを考え行動してきた。今日の一つの区切りにその答えが出せたのか自分に向かって問いかける。

4月1日

汗は熱くなった体の体温を冷やすために出るもので涙は万感の思いで溢れる心を平常にするためのもの。

止めていた涙の栓を「人生の一区切り」に緩めていいと合図が出たのか、昨夜は思いのままにあふれるほどの涙を流しました。あれほどの涙を流したのだから今朝は落ち着いた心になるかなと思っていたけど、腫れたまぶたの中やっぱり思い出しては涙が振り返っては涙が溢れ、自分でも不思議なぐらいです。

4月00日

安くなっても売れない土地どうしたらいいの?との質問に私の提案を伝えます。

「私たちと一緒に暮らしませんか?」 毎月13万円なら稼げるこの地域、所得税も地方税も払って国民の義務を果たし、健康保険も年金も払ってその組織を守り、手取りの10万は家賃と光熱費と食費とそのうち一万円は貯金にあて、仲良く暮らし合う事の出来るこの地域。目の高さに空があり、朝晩のしんとした空気が豊かな作物を育てるように、私たちのずれた心と体に染み込んでまっとうさを取り戻してくれるのです。週の半分は畑や田んぼで汗を流し、残りの半分は地域の困りごとを仕事にする。集まって飲む一杯のビールに感謝して、交わす会話で未来を作る。時代の課題を受け取ってそんな新しいファミリーの形を作りたい

見直してみませんか?みなさんが持っている土地、それができるのがこの地です。